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法政大学非公認サークル
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【実験理念】

好ましくない行為をする・適切な行動がとれない、などの場合に、目上の人間から叱られるということは、誰しもが経験してきたことであろう。子どもは悪い行いをした際に、一般的には親や教師からそれについての叱咤を受け、正しい行為の実行要求や望ましくない理由の説明を受けるものである。大抵の場合、相手に対しての「より善良で恥じることのない人間になってほしい」という配慮が、この「叱る」ということの行動原理であり、いわば叱り手の愛情的要素の一つである。これにより、叱られた側は一般常識や社会的倫理・道徳観などを身につけ、社会的位置の集合である学校や会社などで円滑に暮らしていくことができるようになるのである。

叱るという行為にもさまざまな方法があるが、昨今では叱る際に程度や場面に細心の注意を払わなければならない。例えば、少しでも手を挙げれば暴力・虐待になる場合もある。教師から生徒へ、近隣住民から子どもへ、などの血縁関係の無い者が叱咤する場合にはその親から訴えられることもある。会社における部下への叱咤が、自分の昇進に影響する場合もある。叱ることは神経を使う行為であり、当然ながら労力が要るものなのである。そのため、平和主義や自由および個性の尊重という名目で、叱るという行為が疎かになっている場合が多々あるのではないだろうか。

同時に、叱られる側も快を感じるものではないため、可能な限り回避しがちである。特に大学生活においては、親や教師に叱られる機会はそれ以前に比べ非常に少ない。一人暮らしであったり、アルバイトをしていない、研究室に入っていない学生など、目上の人との関わりを日常的にあまり持たない場合は尚更である。現在大学生である我々は自由に行いを選択できるが故に、他人に叱られる機会を出来るだけ作らないようにすることも可能なのである。

しかしながら叱られることが人間的成長に不可欠だということは自明であり、成人したからといってその機会が必要なくなるわけではない。また、社会に出る前に我々は叱られるという行為を受け止め咀嚼することに慣れておかなければ、就労した際に何らかの問題が発生し早々に辞職するなどという可能性があることも否めない。そのため、社会通念を十分に理解する上で不可欠である「叱られる」という行為を、むやみやたらに避けてはいけないのである。

そこで社会に出る一歩手前である大学生のうちに、盛大に「大目玉を食らう」という経験をし、叱る・叱られるという行為について再度認識し直すことにする。尚、大目玉は、日頃我々に対して「叱る」という行為で一生懸命に愛情を注いでくれている警察官の多くいる警察庁にて食らうこととし、その効果を最大限得られるようにする。

  

【実験方法】

警視庁で大目玉を食らう


【①究極の怒りんぼ、警察官の元へ】

霞が関、警視庁前



到着するなり、
警察官「何してるんですか?」
会員「あ、いやその・・・待ち合わ」
警察官「他へ移動して下さい。」
会員「いや、もうちょっとで来」
警察官
「場所が場所なんで。」
会員「…はい。」

さすが警視庁。


【②数時間後、再び】

確実に実験を行うために、万全の準備をして再び警視庁へ。

用意したのは、大目玉(右)。
ちなみに左は普通の目玉。






「今から、大目玉を食らいまーす」




「おい、君たち!」




しまった、本当の大目玉を食らってしまうのか?

そして、警視庁内へ・・・







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