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法政大学非公認サークル
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【実験理念】


 今日の我々は、格差が広がっているとはいうものの、物質的豊かさをほぼ手に入れた。しかしながら、物質的欲求は充足されているはずなのに、我々は新たな商品を生産し、それを消費せずにはいられない。
 ジャン・ボードリヤールは、豊かさがひとつの価値となるためには、十分な豊かさではなくてあり余る豊かさが存在しなければならないという。このあり余る富が現代消費社会を基礎づけることになる。
 さらに彼は欲求の対象の生産による充足という素朴な消費解釈を退ける。人は具体的な商品ではなく、商品の持つ記号を消費するという。我々が欲求しているモノは使用価値を持った目の前の商品ではなく、観念的な記号上の差異である。記号としてのモノを用いることで、自らを集団あるいは階級のうちに所属させるのである。
 この豊かな消費社会を最も象徴するイベントはクリスマスであろう。クリスマス商戦という言葉を用いて、企業はこぞって新たな欲求を生み出し我々に消費を促す。しかし、その欲求はあくまでも観念的記号を求める欲求でしかない。モノを過剰に持つことで有閑階級に属す者もしくは属すことを欲する者は、見世物的濫費に意味を見いだす。だとするならば、クリスマスにおいて最も彼らが望むのは、与えられることではなく、与えることではないか。もちろんボードリヤールの言うように現在の我々のシステムでは、与えたいという欲求も記号化された人間が欲求を強制されているだけなのかもしれないが、少なくとも彼らが見世物的濫費をたとえ強制的であったとしても欲求していることに変わりはない。本実験ではこのことを検証するため、与える者すなわちサンタクロースと対照的な、奪う者すなわち盗人になり、彼らが喜んで迎え入れるかを確かめることとする。

 

【実験方法】

泥棒の格好で、街を徘徊(家々を訪問)し暖かく迎え入れられるか検証する。

 

 

12月24日、クリスマスイブ。夜。
白金台に降り立ったのは一人の泥棒。

煙突から入ってくるのはサンタクロースとは限らない。

 

 

町中を歩いていると、おばさんが子どもに向かって「あれは泥棒さんっていうスタイルなのよ」と教えていた。
泥棒は新たな日本のファッションスタイルとして確立しているようだ。
白金台発のスタイルなので「白金台系ファッション」として全国に広まるだろう。



 

あたりを物色すること数時間。

 

欲しいものを見つけても、


この柵ではさすがに通れないし、


壁をよじ登るほどの力もない。



というか、あちこちにSECOMのシールが貼ってあるため泥棒なんかできるはずがない。

正々堂々と高級住宅街に住むマダムたちからプレゼントを分けてもらおう。
懐の深い有閑階級なら私を暖かく迎え入れてくれるはずだ。

 

インターホンを押す。

 

 

しーん。

さっきまで声が聞こえていたのに、居留守を使うとは何事だ。
クリスマスの家族の団らんにとって、泥棒は邪魔らしい。

【実験結果】

白金台の高級住宅街では泥棒は受け入れてもらえない。
SECOMを使えば鼠小僧もイチコロか。

 

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