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法政大学非公認サークル
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(実験理念)
歴史上数多くの為政者、政治家たちが存在した。言うまでもなく、政治は一朝一夕で完結するものでも途中で辞めるものでもないので、できるだけ長く生きることを望んでいた者は多いはずだ。例えば、前漢の時代の始皇帝や武帝は不老不死の薬を探し求めたと言い伝えられている。不老不死とは行かずとも、長い時間があればそれだけ政治を行える余裕があり、自分の理想に近づけるのだから、長寿を望んだ者も多い。しかしながら、政治を行う上では多くの障壁が存在しそれによって志半ばで倒れた者も大勢いる。アメリカのリンカーンやケネディの暗殺は有名であろう。また病死など、半ば不可避なものもある。健全な肉体というものは望んでもなかなか得られないものなのだろうか。
 「健全な魂は健全な肉体に宿る」という言い回しがある。これは体が健全な状態であれば心も健全な状態になるという意味でスポーツなどのスローガンに使われる。この言葉のルーツは古代ローマ詩人のユウェナリスが『風刺詩集』で記したものである。しかしこの言い回しは誤訳で「健全な魂は健全な肉体にこそ宿れ」の様な訳が正しく、健全な魂に健全な肉体が宿ってほしいという意味なのである。本来は当時の身体ばかり鍛え腐敗した政治に興味を持たない民衆を風刺した言い回しであり、肉体ばかり鍛えていては良くないと批判しているのである。健全な魂は健全な肉体に宿らないものだろうか。
 有能な政治家たちは健全な、長生きできる肉体を求めたが、殆どが能力を発揮し切れず死んでしまっただろう。それに比べ、とりたてて何かの能力は無いが健康なまま生きているという民衆は多いはずだ。ここに一つの需要と供給が成立している。つまり、有能な政治家の中には死して尚、健全な肉体を求めている者もいるはずだ。そして、死んでしまった政治家の能力が欲しいという民衆もいるだろう。昔から肉体と魂は別のものとして捉えられることが多いが、魂に意志があり肉体を選択しているのだとすれば、肉体を鍛えているだけでもそれを求める魂があるのだから、宿るだろう。そのために、魂が集まりそうな場所で健全な肉体の存在をアピールして、健全な魂を健全な肉体に宿らせたい。

(実験方法)
魂が集まりそうな場所(恐山)で健全な肉体をであることをアピールするために健康的なことをして健全な魂を宿らせる。
 
 
まずは準備体操。

  
 
三途の川を泳ぎ肉体の健全さを魂にアピール。
 
 
キャッチボールや砲丸投げを行い肉体の健全さを魂にアピール。
球がないので生首を代用。
 
 


野菜ジュースベースのだしをとった鍋を食し健康的な体になり、魂を宿らせる準備を整え就寝。










 
 
 
実験結果
翌朝を迎えるも何も宿らず。日頃から鍛えておくべきだった。
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