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法政大学非公認サークル
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自然的態度をエポケーする以外の手段で純粋意識に立ち返るため、秋田美人の母乳を吸わせてもらおう。

 

《実験理念》

 我々が感覚を通して見ているこの世界は、本当に我々が見ているように存在するのだろうか。

 例えば、美術館で絵を見ていても、果たして「絵そのもの」を我々は見ていると言えるのか、誰により描かれたのか、専門家はどのように解釈するのか、値段や評価はどうなのか、など、自身がこれまでの人生で身につけてきた知識や常識、判断などが邪魔をして、本当は「絵そのもの」を純粋に見ることができていないのではないか。

 また、近代哲学の父と呼ばれるデカルトは放浪癖があり、若いうちから各地を放浪して、あることに気付いた。それは、ある国や地方で信じられていることが、他の地域では全く異なったように理解されていることで、そこで彼は、今まで自分が絶対に正しいと考えていたことが、実は自らの習慣や慣習、あるいは文化に影響されたある種の先入観で、絶対の真理ではないことに気付いた。つまり主観的な判断とその対象の真の姿の間にはズレがあるかもしれないと。言い換えれば、我々の感覚は世界を正確に把握できるわけではなく、したがって、その感覚を通して得られた知識や経験も曖昧なのである。

 そこでドイツの哲学者並びに現象学の創始者であるフッサールは、まず事物があってそれを我々が感覚を通して捉えているという、ごくごく当たり前の習慣的な事物や物事の捉え方、つまり、<自然的態度>をいったんエポケーして直接意識に浮かぶものを捉えようとした。普通に考えられているように、客観的なものをいかに正確に認識するかという発想ではなしに、人間の「主観」がどのように「客観」を構成していくのか、つまり我々がどのように世界を認識していくかという道筋をたどるために、雑音の無いスタート地点・原点――<純粋意識>というところまで戻ったのである。

 しかし、フッサールの現象学的還元に対して我々は、<純粋意識>の状態になるためには、アポステリオリに獲得したものを全て忘却し生まれたての「赤ん坊のような状態」になるのがベストであると提唱する。そこで赤ん坊の状態に少しでも近づき、<純粋意識>に近づいて物事を先入観なしに捉えられるかどうか実証したい。

 

 

《実験方法》

 美人の多いとされる秋田へ行き、我々が赤ん坊の時代に飲んでいた母乳を再び飲むことで赤ん坊に近い状態になり、<純粋意識>に近づき物事を先入観なしに捉えられるかどうか実証する。

 

 

 

《実験結果》

 

    母乳をもらうためにさっそく交渉開始。                 

 

 

      

     母乳ください!

 

 母親は地下の食料品で買い物中か?

 

     ことごとく断られる。

 

 

 

 

   肝心の母乳が手に入らなければ、

   実験を貫徹することができない・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

   このまま引き下がるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

    

    ちょっとそこのおばあちゃん、

 

 

 

 

     母乳吸わせてください!