忍者ブログ
法政大学非公認サークル
[83]  [84]  [85]  [86]  [87]  [88]  [89]  [90]  [91]  [92]  [93
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

<理念>

 近年の「管理不備」「食の安全」「偽装」といった一連の問題は、日本という国の文化的背景、価値観により作り上げられたものであることは言うまでもない。一連の問題が「問題」として挙がるのは自国文化の範疇においてであって、日本文化という範疇から一歩外に出てみれば我々が問題としている点は問題でない部分であることが少なくない。例えば福知山線脱線事故にしても都市部での過密ダイヤ、消費者からのダイヤ通り運行への強い要求は問題点にはされなかったし、耐震強度偽装問題に関しても

世界的に見て日本の耐震強度基準は高く、西欧では何百年とさほど修復されていない建築物が平気で街中に存在しており、それらは恐らくいづれも日本国内においては耐震強度基準を満たしていない建造物であろうといった世界の視点からの相対的な評価はメディアにおいてもほとんどなされてこなかった。

 つまり、外国の人間からすると日本人が問題視していることのほとんどは自らの文化的範疇の中で仮想敵をつくりあげ叩くだけ叩き、また新たな問題を見つけて自らの文化的範疇の中で叩くというマッチポンプ式な営みを繰り返す、滑稽なものにうつるかもしれないのだ。

 この問題点をさらに抽象的に考えていくと日本人が持つ理性というものが果たして理性なのか、という疑問にたどり着く。「理性がないから問題が起きるのだ」といった論調は問題が起きると必ず提起されることであるが、日本人が言うそもそものあるべき「理性」が間違っていたとすれば、極端なものであったとすればその「理性」は間違いなく日本人を正しい行動へと向かわせることはできないだろう。

 世界人権宣言の第一条には、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心を授けられており・・・・」とある。この初めから授けられている理性と良心は果たして正しい理性なのであろうか。当然、理性、良心は初めから備わっているものではなく、ここに書かれている理性、良心はそれらを個々が持つ権利であり、生まれながらにして持っている能力では決してない。理性、能力は外部からの働きかけによってよりよい方向へと進化していくべきものである。

 そこで、我々が新たな働きかけをして日本人の文化的価値基準をある程度の理性的な方向へと推し進めたい。改善する対象としては具体的には日本人特有の「恥の文化」である。国内における一連の問題は「見つかったら恥ずかしいから隠しておこう」という恥の文化により発生したという見方もあり、この判断が理性的と言ってしまえばこれから先も問題、不祥事は度々出てくることになる。大衆に晒され、自らがあまり気の進まないことをするという恥に対する抵抗力をつけた日本人を我々の手により作り上げ、理性的な日本人をつくりあげる。

 

<ルール説明>


会員が机の上から数発落とす汚物弾を、挑戦者は口でキャッチする。

キャッチ数の多い人が勝ち。トーナメント形式、汚物弾は試合によって変わる。

 

 

<一回戦 豆腐・ボタモチ>

ボタモチはみたらし団子ほどの大きさしかないのに皆さん上手にキャッチしていました。さすがは体育の法政大学。

豆腐は口元を中心にとびちりました。

 

<二回戦 ミミズ・何かのティッシュ>

 

意外と食いつきはよかったです。もっと嫌がるかと思ったのに。何かのティッシュは湿っていたとのこと。

 

<準決勝 納豆10パック・牛乳雑巾>

 

納豆は粘ついて落下速度が遅いため、普通の速度に慣れた選手には難しかったかもしれません。

牛乳雑巾はジワジワ臭いが効いてくる汚物弾のひとつ。

 

 

<決勝 本日の目玉!>

  

「本日の目玉!」という紹介で登場したのは文字通り「目玉」。神経は付いているのと付いていないのがあります。

12連続で投下される目玉を「ペッ!何かしょっぱいんだけど!?」と言いながらも挑戦者は華麗にキャッチ。会場からは拍手が送られました。

 

参加してくださった挑戦者の方々、観客の方々、本当にありがとうございました。