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法政大学非公認サークル
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 強さを求めない人間はいない。最近でも筋トレの方法、護身術の本など、強くなることを
指南する媒体が数多く出回っているが、強さとは自分でなく他人の客観性に基づき総合的に
判断されるものだ。その意味ではそのような媒体を通してだけではなかなか強くなることは
できない。一体なぜなのだろうか。

 強さが客観的に判断されるという点において量子論的に考えればそれは当たり前だ。量子
論とは簡単に言えばミクロという単位で表す非常に小さい物質の世界のルールを説明した理
論だ。この理論ではミクロ単位の物質は人の観察下にないときは粒子ではなく、物質波と呼
ばれる平面的な波のような形態で、物質の動き及びもっているエネルギーは曖昧な状態であ
るとされる。物質波自体は実際に観察されてはいないのだが、誰も見ていないときのミクロ
物質の動きを方程式で書き表す場合、ミクロ単位の物質は波であるという前提を置かないと
うまくいかない。その方程式の正しさはどの学者も認めている。ならば誰も見ていないとき
は波になっていると考えればよいというのが量子論を作った学者たちの意見だ。


 身近な例では電子がある。電子は全ての物質を構成している素粒子の一種であり、原子に
対する
電子の位置はミクロ単位の物質の状態を決める要素だ。1個の電子の物質波を考えて
みると、
人が見ていないとき、その波は様々な場所に広がっている。しかし我々が確認する
とき、
電子は必ずどこか一箇所で、それも粒子の状態で見つかる。実は物質波というのは我
々が
確認した瞬間に、それまでの波の形から一箇所に収縮して粒子という形になってしまう
のである。
このとき粒子が見つかる場所は物質波の高さに応じて確率的に決まることから、
物質波は確率の波ともよばれている。



 つまりミクロ単位の物質がどれくらいのエネルギーを与えればどんな動きをするのかという
ことは、
我々が視覚するまで確定することはできないのだ。逆に言えば、物質波という強さの
可能性の幅が
あるにも関わらず、人に観察されているせいで物質は粒子となりその状態を固定
されてしまうのである。


 我々の体はミクロ物質である素粒子の集合体である。先述の理論でいうと自分が弱いという認
識は
他人に視覚された瞬間に固定されるため、本を読んだりしても常に他人の目にさらされて
いる状態では
強くなることはできない。では一人で部屋に引きこもっていれば、部屋を出た瞬
間に強くなることが
できるかといえばそうではない。自分という観察者がいるからである。自
分が「なにもしていない」
自分のことを観察している状態は、他人から観察されているのと同
じことなのだ。


 この仮説が正しいとすれば、人目にさらされない場所で強くなるための行為を行い、自分が強
くなったかもしれないという状況になれば素粒子から自分を変えることが可能なはずである。
古来より日本人は強くなるために山に籠もり修行を行ってきた。山は人里とちがい自由に動け
スペースがあり、量子論的に考えても合理的な場所である。我々も先人にならって山に行っ
て修行し、
強くなることができたか検証しよう。

 もしこの実験で強くなれたと証明されれば、指南されている媒体を通すだけで強くなれるとい
う認識を
打破することができるだろう。
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